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今日は与謝野晶子の誕生日:『みだれ髪』で一世を風靡したロマン派歌人の生涯とは
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Peter Gray@petergray47Dear Carlsberg - you may want to consider hiring a historian to advise you on your new Irish campaign #historyfail http://t.co/dUrUaHjffC
2014/11/03 09:42:55
いかがだろうか。高校で学修する範囲を明らかに超えている。平均点もかなり低かったのではないだろうか。とはいえ、確かに問題文を見たときは一瞬面食らうが、素直に考えれば高校生の知識でも解けない問題ではない。大学教員が受験生にどのような能力を求めているのかを正直に示したという点で、良問と言えるのではないだろうか。第2問次の文章を読んで、下線部に関する問いに答えなさい。フランスの歴史家アルベール・マチエはその著書『フランス大革命』の第一巻を「君主制の瓦解(1787年-1792年)」とし、その第二章を「貴族の反乱」とした。王室財政の破産がこのままでは不可避とみた国王政府は、貴族への課税を中心とする改革案を作り、主として大貴族からなる「名士会」を1787年に召集して改革案の承認を求めたが、「名士会」は、貴族が課税されることよりも、むしろこのように臨時にしか貴族が国政に発言できない政治体制そのものを批判し、全国三部会の開催を要求した。マチエはこの「名士会」の召集から『フランス大革命』の論述を始めたのである。従来は1789年に始まると考えられていたフランス革命の叙述を1787年から始めたのはマチエの卓見であったが、1787年-88年の段階は「革命」ではなく「反乱」とされた。それに対してジョルジュ・ルフェーヴルは「フランス革命と農民」と題する論文において、マチエの「1787年開始説」を引き継ぎながら、「…したがって、フランス革命の開始期ではまだブルジョワ革命ではなくて貴族革命である。貴族革命は結局流産したが、それを無視してはブルジョワ革命を説明できないであろう。(中略)フランス革命の火蓋はそのために滅んでゆく階級によってきられたのであって、そのために利益をえる階級によってではなかった」と記し、マチエが「貴族の反乱」と呼んだものを「貴族革命」と言い換えた。他方、この論文の訳者である柴田三千雄氏はその著書『フランス革命』において「まず、フランス革命はいつからいつまでかといえば、1789年から99年までの約10年間とみるのが、通説です。貴族の反抗をいれると12年になりますが、それはいわば前段階です。」として「反乱(もしくは反抗)」についてはマチエ説に立ち返るとともに、フランス革命の叙述を1789年から始めている。1787-88年の貴族の動きが「反乱(もしくは反抗)である「革命」であるかは、一見すると些細な用語の違いにすぎないと思われるかもしれないが、この用語の違いは、「そもそも革命とは何か」という大きな問題に直結しており、フランス革命という世界史上の大事件の定義もしくは性格付けに直接にかかわる問題なのである。(ジョルジュ・ルフェーヴル著・柴田三千雄訳『フランス革命と農民』柴田三千雄著『フランス革命』より引用。)問い 「革命」をどのようなものと考えるとこの貴族の動きは「反乱(もしくは反抗)」とみなされ、また「革命」を逆にどのようなものと考えると同じものが革命とみなされることになるか答えなさい。絶対王政の成立による国王と貴族の関係の変化、フランス革命の際のスローガン等を参考に考察しなさい。