今日3月5日は、日清食品の創業者である安藤百福の誕生日だ。
安藤百福(あんどう ももふく)は1910年3月5日、当時大日本帝国領だった台湾で生まれた。戦中戦後の 混乱の中、食糧難を打開するために食品会社を創業、1958年、チキンラーメンの開発に伴い社名を「日清食品」に変更。現在に至る世界的な食品ブランドを確立した。
なおこれにあわせてGoogleトップページのロゴも特別仕様のアニメーションに変更されている。記念日を祝うお遊び機能「Google Doodle」によるものだ。
「チキンラーメン」「カップヌードル」の発明
1958年、安藤は世界初の即席インスタント麺である「チキンラーメン」を開発。お湯を注ぐだけで手軽に楽しめるということで話題を呼び、国民的な大ヒット商品となった。
1971年にはカップ麺の創始である「カップヌードル」を開発。ニューヨークを旅行した際、アメリカ人がチキンラーメンを紙コップに入れ、フォークで食べているのを見て考案した商品だった。当初、カップヌードルの売れ行きは芳しくなかったが、翌72年、お茶の間を釘づけにした連合赤軍による「あさま山荘事件」鎮圧の際、機動隊が寒空の下で湯気を立てながらカップヌードルをすする姿がテレビを通じて全国に放送され、ヒットのきっかけとなった。
日清食品の世界進出
今日、日清食品の製品は日本国内のみならず、世界中でその姿を目にすることができる。例えば、同社の主力商品「出前一丁」は "Demae Ramen" として欧米のアジア食品店で販売されており、日本食を懐かしむ在外邦人の命綱となっている。
こうした和製即席ラーメンのヒットは、欧米の学界の注目さえも集めている。米国プリンストン大学で博士号を取得し、英国ケンブリッジ大学で日本近現代史を教えるバラク・クシュナー(Barak Kushner)准教授は、『Slurp! A Social and Culinary History of Ramen - Japan's Favorite Noodle Soup』(「ズルルッ!」日本の国民的スープ麺・ラーメンの料理社会史)なるタイトルの学術書を刊行し、学界のみならず新聞の書評など一般読者層の間でも話題を呼んだ。クシュナー氏によれば、戦後日本でラーメンが流行した要因には、大日本帝国の征服により中国の食文化であるチャーシュー(叉焼)が日本に入ってきたこと、また戦後、米国から安価な小麦粉を大量に輸入したことがあるという。
クシュナー氏はインタビューに答えて「ラーメンには日本の近現代史が凝縮されている」 と述べている。台湾出身で米国の食文化の影響を受けた日清創業者の安藤百福が、その歴史の体現者であることは言うまでもない。このエピソードに興味を持ったという読者は、この機会にぜひクシュナー氏の著作をチェックしてみてはいかがだろうか。