都内では監獄をコンセプトにした居酒屋が話題ですが、海外には刑務所をリノベーションして作られたホテルがあります。カナダはオタワにあるホステルで、名前を HI-Ottawa Jail Hostel といいます。一体どんなホステルなのでしょうか…?

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外見は洋館風のごく普通な建物ですが…

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中は刑務所!19世紀に建てられ、1972年まで刑務所として実際に使用されていたそうです。

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居室内はこんな感じ。相部屋になった宿泊客と話が進むこと請け合いです。

宿泊客には建物内のツアーやコンセプトバーなども提供されており、ただ泊まるだけでなくエンターテインメント性もあるホステルになっています。カナダへ旅行した際は試しに一泊してみては…?

▼紹介動画はこちら▼

 

source: hihostels.ca

カタールで開催中の国連教育科学文化機関(UNESCO)は21日、かねてより日本が申請していた富岡製糸場の世界遺産登録を決定した。富岡製糸場は群馬県にある国内初の官営器械製糸工場。明治維新期の殖産興業を牽引した。

開国後の日本には国際競争力のある産業がほとんど存在せず、比較優位を持つ欧米製品の流入を許すままになっていた。そうした中、日本にとって最大の輸出品は生糸であった。原料や生産手段を国内で調達できたため、当時の工業水準でも高品質の製品を産出することができたのである。かくして生糸は日本にとって重要な外貨獲得手段となった。

富岡をはじめとする信州の製糸工場に雇用され、日本の産業革命を現場で支えたのは農家の若い女性たちだった。彼女たちは時に重労働を強いられ、苦しい生活を余儀なくされた。そうした工女の悲哀は同時代のルポルタージュである『女工哀史』およびそれを下敷きにした『あゝ野麦峠』に詳しい。

このように暗い側面をも有した維新期の殖産興業政策であったが、結果的に日本は産業革命を達成し、非欧米圏で唯一、列強の一員に加わることに成功した。そうした歴史的経緯は、今からちょうど30年前の東大入試でも取り上げられている。
長野県諏訪地方では製糸業の発達が日覚ましく,明治後期になると,県外からも多数の工女が集められるようになった。これら工女たちによってうたわれた「工女節」に,「男軍人 女は工女 糸をひくのも国のため」という一節がある。どうして「糸をひく」ことが「国のため」と考えられたのであろうか。明治後期における日本の諸産業のあり方を念頭において,150字以内で説明せよ。(1984年、第4問) 
解答は載せないが、富岡製糸場が世界遺産に認定されたこの機会に、問題を解きながら近代日本の歴史に思いを馳せててみてはいかがだろうか。

13日、建築家・坂茂(ばん しげる)に対するプリツカー賞の授賞式がアムステルダムで行われた。

坂茂は「ポンピドゥーセンター・メス」などの特徴的な作品で知られる建築家。日本国内のみならず世界規模で活動し、阪神・淡路大震災の仮設住宅を契機として、紙製の円筒状構造物を素材として使用した建築作品を手掛けてきた。

プリツカー賞は「建築界のノーベル賞」と呼ばれ、優れた建築家に贈られる。日本の個人・団体ではこれまで丹下健三、槇文彦、安藤忠雄、SANAA、伊東豊雄が受賞している。今回の坂による受賞は東日本大震災をはじめする世界各国における被災地支援の業績が評価されたもの。

受賞動画は以下。

 

旅行先でワインを買ったけどオープナーがない!そんな経験をした方は少なくないはず。ナイフで無理矢理こじ開ける、コルクを親指でボトルの中に落とし込むなどの方法を試した方もいるでしょう。

今回紹介するのはワインオープナーを使わず簡単にコルクが抜けるという革命的な方法です。あまりの鮮やかさに思わず目を疑いますが、覚えておけばどこかで使う機会があるかも…?




昨日、フランスの大学入試であるバカロレアの哲学試験が実施された。文系・理系・経済社会系の3種類のうち、これまで文系理系の問題を取り上げてきたが、最後となる本記事では経済社会系の問題を見てみよう。


テーマ1:自由であるためには選択するだけで十分なのか?
(Suffit-il d'avoir le choix pour être libre ?) 

テーマ2:なぜ自分のことを知ろうとするのか?
(Pourquoi chercher à se connaître soi-même ?) 

テーマ3:以下のハンナ・アレント『人間の条件』(1958年)の抜粋を説明せよ。(略)
(explication de texte : Hannah Arendt, Condition de l’homme moderne, 1958)
 
 
いかがだろうか。どれも大人でも悩みこんでしまいそうな問題ばかりだ。とはいえ、このような答えのない問題を本気で―4時間かけて―考えるというのは受験生本人にとっていい経験になるだろう。パスカルやサルトルを生んだ国だけあって、哲学の効用を実感させられる試験だ。

なお、バカロレア試験は今月23日まで、6日間にわたって行われる。

昨日、フランスの大学入試であるバカロレアの哲学試験が実施された。文系・理系・経済社会系の3種類のうち、前の記事では文系の問題を取り上げたが、今度は理系の問題を見てみよう。文系と同様、3つのテーマから1題を選択して論述する形式だ。


テーマ1:人は幸せになるために生きるのか?
(Vivons-nous pour être heureux ?) 

テーマ2:芸術家は自分の作品の主なのか?
(L'artiste est-il maître de son œuvre ?) 

テーマ3:以下のルネ・デカルト『精神指導の規則』(1628年)の抜粋を説明せよ。(略)
(explication de texte : René Descartes, Règles pour la direction de l’esprit, 1628)
 

いかがだろうか。文系と同様、難易度の高さに驚かされたのではないだろうか。何より高校生にデカルトを読ませるという出題者の心意気に感心させられる。

最後に次の記事では、 経済社会系の問題を見てみよう。

【文系の問題はこちら】

昨日よりおよそ1週間にわたって、フランスでバカロレア試験が実施される。バカロレアとはフランスの大学入試のこと。日本の大学入試と違い、合格点をとれば原則どの大学にも行けるシステムとなっている。フランスは大学入学の季節が秋なので、この時期に入学試験が行われるのだ。

初日は例年通り哲学の試験。3つのテーマから1題を選択し、4時間にわたって論述する形式だ。一体どんな問題が出題されるのだろうか。さっそく問題文を見てみよう。


テーマ1:芸術作品は知覚を育むか?
(Les œuvres d'art éduquent-elles notre perception ?)

テーマ2:幸せになるためならなんでもすべきか?
(Doit-on tout faire pour être heureux ?)

テーマ3:以下のカール・ポパー『客観的知識』(1972年)の抜粋を説明せよ。(略)
(explication de texte : Karl Popper, La Connaissance objective, 1972)
 

いかがだろうか。暗記中心の日本の入試問題とは随分雰囲気が異なるが、一読して難易度の高さに驚いたという読者も多いだろう。

ちなみにこれは文系用の問題。バカロレアは他に理系用と経済社会系用の問題もある。次の記事では理系の問題を見てみよう。 

【経済社会系の問題はこちら】 

フランスの家庭料理の代表といえば「ムール貝の白ワイン蒸し」でしょう。パリを旅行してビストロに入るとよく出される料理でもあります。そんなフランスの味を日本でも再現できないものでしょうか? そんな声を受けて、本記事ではムール貝の白ワイン蒸しを簡単に作れる方法を紹介します。材料は以下の通りです。
・ムール貝 1kg
・白ワイン 100cc
・にんにく 1片
・玉ねぎ 半個
・オリーブオイル 大さじ2 
たったこれだけの材料でムール貝の白ワイン蒸しが作れます。簡単そうでしょう? さっそく作り方を見ていきます。

1. ムール貝を洗う

貝殻の表面に付いている苔や藻を取り除きます。包丁の背や金タワシを使うとうまく取れます。貝殻の中から出ているヒゲも取り除きましょう。一個ずつ丁寧に洗います。この作業が一番面倒かもしれません。

2. にんにくと玉ねぎをみじん切りにする

玉ねぎは皮をむき芽をとってからみじん切りにします。

3. 鍋にオリーブオイルを引きにんにくと玉ねぎを炒める

みじん切りにしたにんにくを鍋に入れ、中火で焦がさないように炒めます。香りが立ったら玉ねぎを入れ、透明感が出てしんなりするまで炒めます。

4. ムール貝と白ワインを入れ、ふたをして蒸す

火を強火にして貝の口が開くまで蒸します。

5. 完成!

 これで出来上がりです。貝に海水の味が付いているので塩コショウなしでも美味しく作れます。筆者はパリのドミトリーでこれを作りましたが、宿泊客に大人気であっという間になくなってしまいました。

ちなみに食べ終わったあと煮汁が残ると思いますが、これを捨てるのはもったいないです。フランスパンに付けて食べてもおいしいですが、鍋に白ご飯を投入しておじやにすれば最高です。塩味が足りなければ好みで食塩を足せば美味しくなります。簡単で美味しいムール貝の白ワイン蒸し、ご家庭でもぜひ試してみて下さい。

7月27日、喜安朗による最新の著書『転成する歴史家たちの軌跡:網野善彦、安丸良夫、二宮宏之、そして私』をめぐる公開セミナーが東洋大学で開催される。

喜安朗は1931年生まれのフランス近代史研究者。東大文学部を卒業後、社会運動史研究会の活動に携わり、19世紀末のサンディカリストや、1848年革命の主役となった民衆層を対象に研究を行ってきた。代表的な著書に、19世紀前半パリの民衆生活を生きいきと描写した『パリの聖月曜日』(平凡社、1982年)、同じく19世紀パリ民衆の社会的結合関係を描いた『近代フランス民衆の<個と共同性>』(平凡社、1994年)などがある。

今回のセミナーは喜安の新刊『転成する歴史家たちの軌跡:網野善彦、安丸良夫、二宮宏之、そして私』の出版を契機とするもの。西洋史研究の大家が同世代の歴史家の仕事を表するとともに自身の半生を語った本書は、戦後日本における歴史研究の動向を知る上で欠かすことのできない文献となるだろう。

東洋大学では人間科学総合研究所を拠点に2011年以来「トランスナショナルカルチュラルヒストリーの今後」と題する共同研究プロジェクトを行ってきたが、今回のセミナーはその延長として企画されたもの。同プロジェクトからはピーター・バークによる講演原稿の出版や『歴史として、記憶として: 「社会運動史」1970~1985』がスピンオフするなど史学史・歴史理論に関して多くの成果が発表されたこともあり、今回のセミナーも期待大だ。関心のある読者はぜひチェックされたい。
公開セミナー
喜安朗著『転成する歴史家たちの軌跡 網野善彦、安丸良夫、二宮宏之、そして私』(せりか書房)をめぐって

基調報告: 喜安朗
コメント: 近藤和彦、戸邉秀明
司会: 岡本充弘
日時: 7月27日(日)13:30~17:00
場所: 東洋大学白山校舎8号館8階・125年記念ホール 

今月20日(金)より、映画『300<スリーハンドレッド> ~帝国の進撃~』が公開される。

2007年に公開され話題を呼んだ映画『300 <スリーハンドレッド〉>』の続編であり、 前作の前後の物語が描かれる。本作の舞台は前500年より半世紀にわたって続いたペルシャ戦争のハイライトである「サラミスの海戦」だ。高校の世界史の教科書にも名前だけは載っている事件だが、一体どのような戦いだったのだろうか?

テルモピレーの戦い:前作のおさらい

サラミスの海戦について説明する前に、前作の舞台である「テルモピレー(テルモピュライ)の戦い」について簡単におさらいしておこう。前500年、ギリシャ連合軍とアケメネス朝ペルシャ帝国の間で勃発した戦争がペルシャ戦争である。この戦争でアテネやスパルタに代表されるギリシャの都市国家(ポリス)は同盟を結び、強大なペルシャ帝国に立ち向かった。ちなみに、このペルシャ戦争について叙述した史料が「エジプトはナイルの賜物」で有名なヘロドトスの『歴史』である。

前481年、ペルシャ王クセルクセス1世はポリス連合軍を屈服させるべく、ギリシャ遠征を挙行した。ヘロドトスの記述によれば、その数は100万人以上。迎えうつギリシャ軍は3日間にわたって奮戦したものの、多勢に無勢のため敢え無く撤退。勇猛で鳴らしたレオニダス王率いる300人のスパルタ兵は壮絶な玉砕を遂げる。かくしてテルモピレーの戦いはギリシャの惨敗に終わった。

決戦の舞台:サラミスの海戦

テルモピレーの敗戦は全ギリシャを震撼させた。100万のペルシャ軍はもうすぐそこまで迫っている。そこでアテネは各ポリスへ要請し、全ギリシャ艦隊をサラミス島へ集結させた。艦隊を率いるのは名将テミストクレス。誇り高い性格で政敵も多かったが、陣頭指揮の才能で右に出るものはいなかった。かくして両軍合わせて数百隻の三段櫂船がサラミス島の近海にて対峙した。ペルシャの帝王クセルクセスと、ギリシャの知将テミストクレス、勝利はどちらの手に渡るのか。

戦いの結果とその後日談について既にご存知の読者も多いと思うが、ここでは映画を観てのお楽しみとしておこう。映画『300<スリーハンドレッド> ~帝国の進撃~』は今月20日(金)より、全国劇場にて公開される。

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