今日のGoogleロゴはンコシ・ジョンソンの特別画像に変更されている。
ンコシ・ジョンソンは1989年の今日、2月4日に生まれ、2001年にわずか12歳で亡くなった。死因はAIDS(後天性免疫不全症候群)。生まれた時点で既にHIV陽性という運命にあった。
ンコシ・ジョンソンは南アフリカのダンハウザー周辺のズールー族の村で生まれた。父親は不詳。母親もAIDSに罹患しており、ンコシ・ジョンソンが学校に上がる時に亡くなった。
ンコシ・ジョンソンはヨハネスブルク郊外の小学校に入学しようとしたとき、その病気を理由に当初入学を拒否された。この事件は国中にセンセーションを巻き起こし、学校は後にこの決定を覆す。
ンコシ・ジョンソンは当初こそ普通の学校生活を送っていたが、次第に彼の病状は悪化してゆく。2000年、ンコシ・ジョンソンは第13回国際エイズ会議で基調講演を行った。その中には次のような印象的なフレーズが含まれている。
僕たちを世話し、受け入れてください。僕たちは皆人間です。僕たちは普通です。僕たちは手があります。僕たちは足があります。僕たちは歩くことができます。僕たちはすべて同じです!実は当時、南アフリカ共和国では、総人口4300万のうち10人の1人がHIVに感染していた。その背景には、人種差別の歴史、そして「エイズなど存在しない」と頑なに主張するターボ・ムベキ大統領が、抗エイズ薬の認可を拒否していたという事情があった。ンコシ・ジョンソンのスピーチは、エイズ患者が置かれている困難な状況を世界に向けて訴えたのだ。
ンコシ・ジョンソンが亡くなった後、南アフリカでは2004年にHIV陽性者が無償で薬物治療を受けられるよう制度改革が行われた。しかしながら、今なおAIDSの被害は深刻であり、闘いは終わっていない。
ンコシ・ジョンソンはAIDS患者の英雄となり、ネルソン・マンデラは「人生のための闘争のアイコン」として讃えた。その生涯はジム・ウーテン著『ぼくもあなたとおなじ人間です。―エイズと闘った小さな活動家、ンコシ少年の生涯』にまとめられて、日本語で読むことができる。