メアリー・サマヴィル
今日のGoogleロゴは「メアリー・サマヴィル」のイラストに変更されている。一体なぜ?

メアリー・サマヴィルは英国の科学者。1790年12月26日にスコットランドのジェドバラで、海軍中将サー・ウィリアム・ジョージ・フェアファックスの娘として生まれた。

メアリー・サマヴィルは幼い頃から母親の家事を手伝い、家庭でのびのびと自然を楽しんでいた。 メアリー・サマヴィルが10歳のとき、海外から帰国した父親により、適切な教育のためにマッセルバラの寄宿学校に送られた。

メアリー・サマヴィルは寄宿学校で、美術教師から絵画の基礎がどのようにユークリッドの幾何学の要素にまで遡ることができるかを説明される。地理学や天文学に興味を持ったサマヴィルは教員として生計を立てる傍ら、長年の独習と研究の成果に基づく科学論文の出版を続けた。

1826年2月2日、メアリー・サマヴィルの物理学論文「太陽スペクトルの紫光線の磁性」が、英国国立科学アカデミーであるロンドン王立協会の刊行する雑誌『王立協会会報』に公表される。これは女性著者による最初の論文とされ、今日のGoogleロゴもこれを記念するものである。

1831年、メアリー・サマヴィルは、フランス人科学者ピエール・シモン・ラプラスの『天体力学概論』(Mécanique Céleste)を英訳し、太陽系の既存の理解に革命をもたらす。この英訳はラプラスをイギリスに紹介することになり、天文学者ジョン・クーチ・アダムスが海王星を発見するための手がかりを提供した。

メアリー・サマヴィルの学識は物理学の多岐にわたる分野に及んだ。「科学者」という言葉は、彼女のこの学際的なアプローチを説明するために書評者が用いたのが初出とされる。

メアリー・サマヴィルは女性の平等な権利の擁護者であり、1866年の女性参政権請願書に署名した最初の人物でもあった。

今日、科学史におけるメアリー・サマヴィルの功績は疑い得ない。「女に数学は無理」という偏見が根強く残るこの国でも、これを機に彼女の業績について思いを馳せてみてはいかがだろうか。