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20世紀のフランスで起こった実際の出来事「サンタクロース火炙り事件」をあなたはご存知だろうか?

事件の概要

フランス東部のブルゴーニュ地方にある中規模都市・ディジョン。ブルゴーニュワインの他、クレーム・ド・カシスやマイユのマスタードで有名な風光明媚な都市だ。事件は1951年12月24日、クリスマスイブの夜、ここディジョンで発生した。この日、ディジョン市内中心部にある大聖堂の前の広場にサンタクロースをかたどった像が吊るされ、そのまま群衆の目の前で火炙りにされた。集められた市民の中には子供の姿も多く見られたという。
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上の画像は子供たちの目の前で焼け落ちるサンタ像。恐ろしすぎる…。

事件の背景

このサンタクロース火炙り事件が起こった背景には、カトリック聖職者の言説があった。当時、市民によるクリスマス熱の高まりを教会は危険視、なんとサンタクロースに異端の判決を下したのだ。一体なぜ…?

教会の主張によれば、そもそもキリストの誕生日が12月25日に定められた根拠はなく、クリスマスは異教の祭りを起源とするものであった。さらに、近年のサンタクロースの流行はアメリカによる世俗的・資本主義的なイベントであり、クリスマスからキリスト教の宗教色を抜き取るものだというのだ。

もちろん、カトリックの皇位聖職者がサンタクロースの火炙りを命じたわけではない。しかしながら、過激化した一部の市民がこれに反応、私的に火刑を実施したというわけである。実に恐ろしい話だ…。

事件の影響

さて、事件は地元紙の報道を通じて、一夜にして世間の注目を集めることとなった。下の写真は事件を伝える翌年1月の雑誌である。
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なお、騒動のもととなったディジョンでは、翌25日に市長の手で市役所にサンタクロースが掲げられるという形で、事態は一応の落着を見た。

こうした異常とも言える現象に対して、現在まで語り継がれるコメントを残した人物がいる。文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースである。後に構造主義の旗手として世界的に著名となるレヴィ=ストロースは、当時この事件に大きな衝撃を受けた。ユダヤ人であった彼にとって、キリスト教徒によるサンタクロースの火刑はほんの数年前に起こったナチスによるホロコーストと重なって見えたのだ。

サルトルの主催する雑誌『レ・タン・モデルヌ』への寄稿依頼を受けたレヴィ=ストロースは、クリスマスの習慣について、マルセル・モースの社会学で著名な概念「贈与慣行」を用いて解釈を試みる。こうしてクリスマスのプレゼント交換を文化人類学的に考察した論文『火炙りにされたサンタクロース』が完成したのだ。



なお、『火炙りにされたサンタクロース』は中沢新一の訳により、日本語でも読むことができる。シャレの分かる親しい知人へのクリスマスプレゼントにしてみては?

photo: laportelatine.org, tentation-du-regard.frfbcdn.net