今日はオーストリア生まれの病理学者であるカール・ラントシュタイナーの誕生日。これを記念してGoogleトップページのロゴも特別アニメーションに変更されている。
Doodle公式webサイトによると、今日のロゴ変更はアメリカ合衆国や北朝鮮など一部の国・地域を除く世界の広い範囲で行われている。そんなカール・ラントシュタイナー、一体どのような人物なのだろうか?
カール・ラントシュタイナーは1868年6月14日、オーストリアの首都ウィーンでユダヤ人の家庭に生まれた。1891年ウィーン大学医学部を卒業、病理学者としてのキャリアを歩み始めた。
当時、違う血液型同士を混合すると凝集が起こることはまだ知られておらず、輸血により助かるかどうかは運次第だった。カール・ラントシュタイナーはこの「凝集現象」の原因を探るうち、1900年に世界で初めて血液に型があることを発見。血液凝集の原因は、異なる血液型による免疫反応であると結論付けたのだ。翌1901年に学術雑誌『ウィーン臨床週報』に論文「人間の血液の凝集現象について」を発表し、自らの発見を世界中に知らしめた。
ラントシュタイナーは血液型をA型、B型、C型の3種類に分類。C型は後に「O型」と改称され、また1902年、第4の型であるAB型が別の学者によって発見された。ちなみに「O型」と名付けられた理由は、数字のゼロ、ドイツ語の「ohne」(英語のwithout)などと諸説あるという。
折しもラントシュタイナーが血液型を発見したのと同じ1900年、グレゴール・ヨハン・メンデルによる遺伝法則の先駆的研究が、コレンス、チェルマク、ド・フリースの3人の研究者によって再評価された。ラントシュタイナーの発見した血液型にもこの「遺伝の法則」が適用されることが分かった。読者の中には、高校の生物で遺伝の計算の応用問題として血液型の事例に苦しんだ方も多いだろう。
さて、カール・ラントシュタイナーはその後、オーストリアにおけるユダヤ人への差別的待遇もあったため、1922年に米国へ移住、ニューヨークのロックフェラー研究所に加わり、Rh因子の発見にも携わった。1930年には血液型発見の功績によりノーベル生理学・医学賞を受賞している。1943年6月26日、心臓発作で亡くなった。
カール・ラントシュタイナーはオーストリアの誇る偉人として後世まで名を知られた。ユーロ導入以前の1000シリング紙幣には1997年以降、彼の肖像画が描かれていた。ラントシュタイナーの誕生日である6月14日は、現在「世界献血者デー」に指定されている。
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