本日2月27日は聴診器の発明者であるルネ・ラエンネックの誕生日だ。
1799年、パリに渡ったラエンネックはそこで医学を本格的に学ぶ。彼の師の一人であったジャン=ニコラ・コルヴィサールは、音を利用した診察方法の提唱者の一人であった。ラエンネックはコルヴィサールの理論に基づき、触診では判別できない小さな音を増幅する機械を発明した。聴診器の誕生である。
そこでラエンネックは中が空洞になった棒を利用し、患者の胸の音を増幅させる機械を発明。当時の聴診器は現在のものと違って、中空の金属棒でできていた(下図)。これは彼がルーヴル美術館の窓口を通りかかった際、中庭で子供たちが中空の棒を使って遊んでいたのを見て考案したものだという逸話が残っている。
ラエンネックは功績を認められ、1822年にはフランス学術界の権威であるコレージュ・ド・フランスの医学教授に就任。1826年8月13日に結核のため亡くなった。
現在、ルネ・ラエンネックの業績を記念し、彼が勤務していたパリの「ネッケル病院」の入口にはラエンネックの名を刻んだ記念碑がある。ネッケル病院はパリ15区、セーヴル通り149番地にある。観光客がよく訪れるモンパルナスのすぐ近くにあるので、旅行の際は立ち寄ってみてはいかがだろうか。
ルネ・ラエンネックの生涯
ルネ・ラエンネックは1781年2月17日、フランス・ブルターニュ半島にあるカンペールという小さな町に生まれた。ラエンネックの母親は彼が5歳の時に結核で亡くなった。ラエンネックは12歳の時にナントに住む叔父の家に移り住み、そこで医学を学んだ。1799年、パリに渡ったラエンネックはそこで医学を本格的に学ぶ。彼の師の一人であったジャン=ニコラ・コルヴィサールは、音を利用した診察方法の提唱者の一人であった。ラエンネックはコルヴィサールの理論に基づき、触診では判別できない小さな音を増幅する機械を発明した。聴診器の誕生である。
ルネ・ラエンネックと聴診器
ルネ・ラエンネックが聴診器を発明した当時、医師が患者の旨に直接耳を押し付けて診断する方法が一般的だった。しかしこの方法では、特に患者が肥満の場合などに小さな音を直接聴くことが困難であるという問題があった。そこでラエンネックは中が空洞になった棒を利用し、患者の胸の音を増幅させる機械を発明。当時の聴診器は現在のものと違って、中空の金属棒でできていた(下図)。これは彼がルーヴル美術館の窓口を通りかかった際、中庭で子供たちが中空の棒を使って遊んでいたのを見て考案したものだという逸話が残っている。
ラエンネックは功績を認められ、1822年にはフランス学術界の権威であるコレージュ・ド・フランスの医学教授に就任。1826年8月13日に結核のため亡くなった。
現在、ルネ・ラエンネックの業績を記念し、彼が勤務していたパリの「ネッケル病院」の入口にはラエンネックの名を刻んだ記念碑がある。ネッケル病院はパリ15区、セーヴル通り149番地にある。観光客がよく訪れるモンパルナスのすぐ近くにあるので、旅行の際は立ち寄ってみてはいかがだろうか。