カテゴリ: 歴史

「吉岡・堀米論争」と呼ばれる論争がある。歴史を学ぶことは役に立つのかをテーマとした昭和期の西洋史学の一大論争として現在まで語り継がれる論争である。

「役に立つ」そう主張したのは吉岡昭彦(1927~2001年)。専門は近代イギリス史、とりわけ経済史を専門とした。

吉岡は大塚久雄の比較経済史学の正統な後継者である。大塚久雄は二次大戦に敗れた日本社会の近代化の遅れを問題とし、理想的な人間類型たる「近代人のエートス」の実現を主張した。

高度成長を経て「もはや戦後ではない」とされた状況のなか、大塚史学は次第にアクチュアリティを失っていった。大塚の後継者たる吉岡は、近代社会の構造へと分析対象をシフトすることで、今なお歴史学は社会の役に立つことを示そうとした。吉岡は、歴史家はすべからく近代史を研究すべきであり、古代・中世の研究者は各1名ずつで十分だとまで主張した。

他方で、「役に立つ必要はない」と主張したのが堀米庸三(1913~1975年)である。専門は中世史。 『史学雑誌』の「回顧と展望」に掲載された「西洋史・総説」(『史学雑誌』69-5、1960年)において、堀米は自らの感性にもとづいて歴史を総合的に把握することを主張した。旧制高校の教養主義を体現する存在であった堀米にとって、歴史学は人文的な個性記述の学であり、社会の役に立つ前に個人的な人間形成の手段であった。

こうした堀米のヒューマニズムに違和感を表明したのが吉岡である。講座派マルクス主義者だった吉岡にとって、人間はいかに生きるべきかという問いは社会科学的思考なしには考えられなかった(吉岡昭彦「日本における西洋史研究について」『歴史評論』121、1960年)。

60年代に交わされた論争からすでに半世紀が経過した。だが、二人の問題意識は現在も新鮮さを失っていない。「吉岡・堀米論争」の詳細については近藤和彦『文明の表象 英国』や小田中直樹『歴史学のアポリア』に詳しい。あわせて参照されたい。

「大学に入ったので専門的な歴史の勉強を始めたい!」「昔勉強した歴史をもう一度復習したい!」そんなニーズは多いはず。ですが、書店に行くと大量の本に囲まれてどれから読めばいいか分からない…そんな声に答えて本稿では定評ある西洋史の教科書を4つ厳選して紹介します。意欲ある読者の皆様のお役にたてば幸いです。

近藤和彦編『西洋世界の歴史』山川出版社、1999年

【版元による解説】歴史が大きく転換した今,気鋭の研究者が分担執筆により古代から現在まで,世界を視野に入れて,その歴史像を鮮やかに描き出す。



服部良久、山辺規子、南川高志編著『大学で学ぶ西洋史:古代・中世』ミネルヴァ書房、2006年
小山哲、山田史郎、杉本淑彦、上垣豊『大学で学ぶ西洋史:近現代』ミネルヴァ書房、2011年

【版元による解説】日本の西洋史学界の中核を担う世代の執筆陣が、最新の研究成果を踏まえて西洋の古代と中世の歴史を平易に解説する。



山本茂 、早川良弥、鈴木利章、藤縄謙三、野口洋二編『西洋の歴史:古代・中世編』ミネルヴァ書房、1988年
大下 尚一、服部 春彦、西川 正雄、望田 幸男編『西洋の歴史:近現代編』ミネルヴァ書房、1988年

【版元による解説】各節に「歴史の探究」欄を設け、より深い関心が育まれる構成にした。幅広い読者層への好個のテキスト。



中井義明、佐藤専次、渋谷聡、加藤克夫、小澤卓也編『教養のための西洋史入門』ミネルヴァ書房、2007年

【版元による解説】古代ギリシアから9・11同時多発テロまで、西洋史をこれから学ぶ人、教養を身につけたい人に平易に解説する。
 

今年、2014年は第一次世界大戦開戦から100周年をむかえる。これを記念して歴史研究者による専門書の出版が盛んになっており、書店には関連書籍が所狭しと並んでいる。本記事ではそうした中から今後も基本文献として参照され続けるであろう、日本人研究者による著作を4点ご紹介する。読者の本選びの参考になれば幸いである。

池田嘉郎編『第一次世界大戦と帝国の遺産』山川出版社、2014年。

第一次世界大戦の開始から100年。二度の世界大戦と冷戦を体験したわれわれは今も混迷のさなかにある。20世紀初頭の諸帝国が残したものは何か。国民国家の枠を超えて考える。(出版社webサイトより)

木村靖二『第一次世界大戦』筑摩書房、2014年。

一九一四年に勃発したバルカン戦争は、当初の誰もが予想しなかった経緯をたどり、ヨーロッパ戦争へ、そして世界大戦へと拡大する。「短い二〇世紀」のはじまりであり現代史の画期となる第一次世界大戦である。本書では、近年の研究を踏まえながら、その戦史的経過、技術的進展、社会的変遷を辿り、国際体制の変化、「帝国」から「国民国家」への移行、女性の社会進出、福祉国家化などをもたらしたこの出来事を考察する。(出版社webサイトより)

シリーズ「現代の起点 第一次世界大戦」岩波書店、2014年。

第一次世界大戦は,世界の一体化を推し進め,社会のすべてを動員しようとし,人びとの精神のありようを根底から変えてしまった,史上初の「世界戦争」だった.勃発から一〇〇年──現代の幕開けを告げる出来事としての第一次世界大戦を「世界性」「総体性」「感性」「持続性」という四つの新たな視点から問い直す,日本初の本格的論集.(出版社webサイトより)

シリーズ「レクチャー 第一次世界大戦を考える」人文書院、2010年~




 

フランス人技術者ダゲールによるダゲレオタイプの発明以後、写真は歴史の様々な場面を証言してきた。そんな歴史的な写真を集めたTwitterアカウントに「ClassicPics (@History_Pics)」がある。写真はどれも目を引くものばかりで、歴史ファンならきっと楽しめるだろう。中には撮影された背景など色々なことを想像させるものもある。以下に最近の投稿をいくつかピックアップしてみた。写真が気に入った読者はフォローしてみてはいかがだろうか。

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エッフェル塔を塗装する労働者

出廷したアル・カポネ

1878年のウォール街

ダリとシャネル

タイタニック号の大階段 
 
1920年代のトレーニングマシン

MGMロゴの撮影風景

クリーヴランドの風船祭り

6月21日(土)より映画『超高速!参勤交代』が公開された。幕府から5日以内に江戸へ参勤せよという無理難題を押し付けられた弱小の湯長谷藩(現在の福島県いわき市)が、藩主を含めたった7人で挑むというストーリー。映画の主題となっている「参勤交代」は小学生でも知っている江戸時代の制度だが、内容について詳しく説明できる人は少ないだろう。参勤交代とは一体どのような制度だったのだろうか?

概要

参勤交代は1635年、3代将軍・徳川家光の時代に制度化された。藩主に対し1年おきに地元と江戸を行き来させる制度で、妻子は江戸に住まわせた。毎年多数の武士が地方と江戸を往来したため、それにあわせて東海道などの五街道が整備され、道中の宿場町が発展するなど、経済振興の要因ともなった。

目的

参勤交代の目的は、諸藩に予算と人員を割かせて勢力を削減し、幕府に対抗できないようにするため…というのが一般的な理解である。しかしながら、この一般常識は歴史家の間では疑問視されている。東京大学の入試問題を見てみよう。
参勤交代が、大名の財政に大きな負担となり、その軍事力を低下させる役割を果したこと、反面、都市や交通が発展する一因となったことは、しばしば指摘されるところである。しかし、これは、参勤交代の制度がもたらした結果であって、この制度が設けられた理由とは考えられない。どうして幕府は、この制度を設けたのか。戦国末期以来の政治や社会の動きを念頭において、150字(句読点も1字に数える)以内で説明せよ。 (1983年第3問)
藩財政の削減は参勤交代の結果であって、目的ではない、そう問うている。確かに、ただ単に藩の勢力を削ぎたいだけなら他にいくらでもやり方はあったはずである。では、一体なぜ幕府は参勤交代の制度を設けたのだろうか?

ここでヒントとなるのが問題文中の「戦国末期以来の政治や社会の動きを念頭において」という部分である。戦国大名は家臣との結束を強める目的で、家臣を城下町へ集住させた。これにより大名は支配を安定させ、領国の一円的な支配を行うようになった。

こうした武士の主従関係において、軍役により命を捧げることは主君に対する奉公と考えられた。その引き換えとして家臣は主君から恩賞をもらうのである。ところが江戸時代になると平和が訪れ、軍役奉仕による奉公の機会が消滅した。そこで軍事奉仕の代わりに制度化されたのが参勤交代だ。武器を携帯した武士団を引き連れて参勤する様はさながら軍事パレードのよう。参勤交代は平和な時代において、幕府と大名との主従関係を確認する役割を果たしたのである。

ところが、映画の中で幕府は小藩に対し無理難題を押し付ける。これでは忠誠など望むべくもない。これに対して藩主の内藤政醇(演・佐々木蔵之介)はどう応じるのか。映画『超高速!参勤交代』は全国の劇場で上映中。

 

カタールで開催中の国連教育科学文化機関(UNESCO)は21日、かねてより日本が申請していた富岡製糸場の世界遺産登録を決定した。富岡製糸場は群馬県にある国内初の官営器械製糸工場。明治維新期の殖産興業を牽引した。

開国後の日本には国際競争力のある産業がほとんど存在せず、比較優位を持つ欧米製品の流入を許すままになっていた。そうした中、日本にとって最大の輸出品は生糸であった。原料や生産手段を国内で調達できたため、当時の工業水準でも高品質の製品を産出することができたのである。かくして生糸は日本にとって重要な外貨獲得手段となった。

富岡をはじめとする信州の製糸工場に雇用され、日本の産業革命を現場で支えたのは農家の若い女性たちだった。彼女たちは時に重労働を強いられ、苦しい生活を余儀なくされた。そうした工女の悲哀は同時代のルポルタージュである『女工哀史』およびそれを下敷きにした『あゝ野麦峠』に詳しい。

このように暗い側面をも有した維新期の殖産興業政策であったが、結果的に日本は産業革命を達成し、非欧米圏で唯一、列強の一員に加わることに成功した。そうした歴史的経緯は、今からちょうど30年前の東大入試でも取り上げられている。
長野県諏訪地方では製糸業の発達が日覚ましく,明治後期になると,県外からも多数の工女が集められるようになった。これら工女たちによってうたわれた「工女節」に,「男軍人 女は工女 糸をひくのも国のため」という一節がある。どうして「糸をひく」ことが「国のため」と考えられたのであろうか。明治後期における日本の諸産業のあり方を念頭において,150字以内で説明せよ。(1984年、第4問) 
解答は載せないが、富岡製糸場が世界遺産に認定されたこの機会に、問題を解きながら近代日本の歴史に思いを馳せててみてはいかがだろうか。

7月27日、喜安朗による最新の著書『転成する歴史家たちの軌跡:網野善彦、安丸良夫、二宮宏之、そして私』をめぐる公開セミナーが東洋大学で開催される。

喜安朗は1931年生まれのフランス近代史研究者。東大文学部を卒業後、社会運動史研究会の活動に携わり、19世紀末のサンディカリストや、1848年革命の主役となった民衆層を対象に研究を行ってきた。代表的な著書に、19世紀前半パリの民衆生活を生きいきと描写した『パリの聖月曜日』(平凡社、1982年)、同じく19世紀パリ民衆の社会的結合関係を描いた『近代フランス民衆の<個と共同性>』(平凡社、1994年)などがある。

今回のセミナーは喜安の新刊『転成する歴史家たちの軌跡:網野善彦、安丸良夫、二宮宏之、そして私』の出版を契機とするもの。西洋史研究の大家が同世代の歴史家の仕事を表するとともに自身の半生を語った本書は、戦後日本における歴史研究の動向を知る上で欠かすことのできない文献となるだろう。

東洋大学では人間科学総合研究所を拠点に2011年以来「トランスナショナルカルチュラルヒストリーの今後」と題する共同研究プロジェクトを行ってきたが、今回のセミナーはその延長として企画されたもの。同プロジェクトからはピーター・バークによる講演原稿の出版や『歴史として、記憶として: 「社会運動史」1970~1985』がスピンオフするなど史学史・歴史理論に関して多くの成果が発表されたこともあり、今回のセミナーも期待大だ。関心のある読者はぜひチェックされたい。
公開セミナー
喜安朗著『転成する歴史家たちの軌跡 網野善彦、安丸良夫、二宮宏之、そして私』(せりか書房)をめぐって

基調報告: 喜安朗
コメント: 近藤和彦、戸邉秀明
司会: 岡本充弘
日時: 7月27日(日)13:30~17:00
場所: 東洋大学白山校舎8号館8階・125年記念ホール 

今月20日(金)より、映画『300<スリーハンドレッド> ~帝国の進撃~』が公開される。

2007年に公開され話題を呼んだ映画『300 <スリーハンドレッド〉>』の続編であり、 前作の前後の物語が描かれる。本作の舞台は前500年より半世紀にわたって続いたペルシャ戦争のハイライトである「サラミスの海戦」だ。高校の世界史の教科書にも名前だけは載っている事件だが、一体どのような戦いだったのだろうか?

テルモピレーの戦い:前作のおさらい

サラミスの海戦について説明する前に、前作の舞台である「テルモピレー(テルモピュライ)の戦い」について簡単におさらいしておこう。前500年、ギリシャ連合軍とアケメネス朝ペルシャ帝国の間で勃発した戦争がペルシャ戦争である。この戦争でアテネやスパルタに代表されるギリシャの都市国家(ポリス)は同盟を結び、強大なペルシャ帝国に立ち向かった。ちなみに、このペルシャ戦争について叙述した史料が「エジプトはナイルの賜物」で有名なヘロドトスの『歴史』である。

前481年、ペルシャ王クセルクセス1世はポリス連合軍を屈服させるべく、ギリシャ遠征を挙行した。ヘロドトスの記述によれば、その数は100万人以上。迎えうつギリシャ軍は3日間にわたって奮戦したものの、多勢に無勢のため敢え無く撤退。勇猛で鳴らしたレオニダス王率いる300人のスパルタ兵は壮絶な玉砕を遂げる。かくしてテルモピレーの戦いはギリシャの惨敗に終わった。

決戦の舞台:サラミスの海戦

テルモピレーの敗戦は全ギリシャを震撼させた。100万のペルシャ軍はもうすぐそこまで迫っている。そこでアテネは各ポリスへ要請し、全ギリシャ艦隊をサラミス島へ集結させた。艦隊を率いるのは名将テミストクレス。誇り高い性格で政敵も多かったが、陣頭指揮の才能で右に出るものはいなかった。かくして両軍合わせて数百隻の三段櫂船がサラミス島の近海にて対峙した。ペルシャの帝王クセルクセスと、ギリシャの知将テミストクレス、勝利はどちらの手に渡るのか。

戦いの結果とその後日談について既にご存知の読者も多いと思うが、ここでは映画を観てのお楽しみとしておこう。映画『300<スリーハンドレッド> ~帝国の進撃~』は今月20日(金)より、全国劇場にて公開される。

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