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大学で社会科学について勉強した方なら「社会科学高等研究院(EHESS)」の名をどこかで聞いたことがあるだろう。だが、EHESSについて詳しく知っているという方は意外と少ないはずだ。デリダやブルデューなど名だたる研究者が所属したEHESS、一体どんな機関なのだろうか。

フランスの高等教育は通常の大学と、グランゼコールとよばれるエリート校の二本立てで行われていることで知られるが、EHESSはそのどちらにも属さず、グランデタブリスマンと呼ばれる独自の区分となる。グランデタブリスマンとは科学や文化の専門研究を行う、いわば大学院大学である。EHESSの他に、コレージュ・ド・フランスや国立自然史博物館などの研究機関が含まれている。

EHESSはもともと、高等研究実習院(EPHE)第6部門からスタートした。EPHEとはフランス第二帝政下、ナポレオン3世の公教育相であったヴィクトル・デュリュイの提案によって、1868年に創設された研究機関である。アカデミズムの壁を超えて、市民に対して開かれた研究教育機関たることを目標とした。

EPHEの第6部門は第二次大戦後の1947年、「アナール学派」の祖として知られる歴史家のリュシアン・フェーヴルによって創設された。フェーヴルは「歴史家よ、地理学者でありなさい。同じく法学者、社会学者、心理学者でありなさい」(『歴史のための闘い』)という言葉で知られるように、他の学問分野と協力することで歴史研究を豊かにすることを目指したのである。

フェーブルの後を継いで第2代部門長となったのは、『地中海』で知られる歴史家のフェルナン・ブローデルである。ブローデルの手腕により第6部門は設備を拡充させ、フランスの研究教育界におけるプレゼンスを高めていく。ラスパイユ通り沿いの「人間科学館」に校舎を得たのもブローデルの時代である。

第3代部門長は社会史の第一人者のジャック・ル・ゴフである。ル・ゴフは政府の干渉を嫌い、EPHEの一セクションに過ぎなかった第6部門をEHESSとして独立させた。 1975年だった。なお、EHESS成立の経緯は『ル・ゴフ自伝』に詳しい。以来、EHESSは世界的な学術シーンにおいて不動の地位を占め、共同研究に基づく革新的な成果を次々に発表してゆく。

ル・ゴフの後を継いだのは、フランス革命の修正主義者として知られるフランソワ・フュレであった。以降はマルク・オージェ(人類学者)など他の学問分野の院長も見られるものの、草創期に4代にわたって歴史家が院長を務めてきたEHESSにおいて、歴史学の占める地位は無視できないものがある。1960年代、まだこの研究機関がEPHEの一部門だった時代に留学へ赴いた二宮宏之は、後年次のように回想している。
戦後間もなく、「高等研究院」Ecole Pratique des Hautes-Etudesの第6部門(社会・経済部門)――この第6部門は、1975年他の部門から独立し、現在はEcole des Hautes Etudes en Sciences Socialesと呼ばれている――の責任者となりその再組織を委ねられた時、フェーヴルは、彼の理念を生かすべきもっともよき場を見出したと言ってよいのである。学部別の講座制度でがっちり固められていた大学から独立している、フランス独特のこの研究教育機関は、専門化した学問の縄張り争いからは全く自由に、歴史家と、社会学や人類学や人口学、言語学や宗教学や科学哲学の研究者との、有効な協働の場を設定することができたのであるから。
――「全体を見る眼と歴史家たち」『二宮宏之著作集1』岩波書店、2011年、5頁。
こうした理念にもとづき、EHESSでは歴史学のみならず、広く社会科学一般の共同研究が盛んである。話題を呼んだ『21世紀の資本』のトマ・ピケティや、2014年ノーベル経済学賞を受賞したジャン・ティロールもここで教えている。

近年、EHESSは日本研究の比重を拡大しており、2014年には日仏財団の理事長を務めるセバスチャン・ルシュバリエ准教授のイニシアティヴにより、「パリ日仏高等研究センター(仮称)」が設立される見通しである。人文社会科学研究のユートピアであるEHESSは、今後わが国にとっても、ますますプレゼンスが高まることになるだろう。