カタールで開催中の国連教育科学文化機関(UNESCO)は21日、かねてより日本が申請していた富岡製糸場の世界遺産登録を決定した。富岡製糸場は群馬県にある国内初の官営器械製糸工場。明治維新期の殖産興業を牽引した。

開国後の日本には国際競争力のある産業がほとんど存在せず、比較優位を持つ欧米製品の流入を許すままになっていた。そうした中、日本にとって最大の輸出品は生糸であった。原料や生産手段を国内で調達できたため、当時の工業水準でも高品質の製品を産出することができたのである。かくして生糸は日本にとって重要な外貨獲得手段となった。

富岡をはじめとする信州の製糸工場に雇用され、日本の産業革命を現場で支えたのは農家の若い女性たちだった。彼女たちは時に重労働を強いられ、苦しい生活を余儀なくされた。そうした工女の悲哀は同時代のルポルタージュである『女工哀史』およびそれを下敷きにした『あゝ野麦峠』に詳しい。

このように暗い側面をも有した維新期の殖産興業政策であったが、結果的に日本は産業革命を達成し、非欧米圏で唯一、列強の一員に加わることに成功した。そうした歴史的経緯は、今からちょうど30年前の東大入試でも取り上げられている。
長野県諏訪地方では製糸業の発達が日覚ましく,明治後期になると,県外からも多数の工女が集められるようになった。これら工女たちによってうたわれた「工女節」に,「男軍人 女は工女 糸をひくのも国のため」という一節がある。どうして「糸をひく」ことが「国のため」と考えられたのであろうか。明治後期における日本の諸産業のあり方を念頭において,150字以内で説明せよ。(1984年、第4問) 
解答は載せないが、富岡製糸場が世界遺産に認定されたこの機会に、問題を解きながら近代日本の歴史に思いを馳せててみてはいかがだろうか。