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本日10月19日は天文学者スブラマニアン・チャンドラセカールの誕生日。これを記念してGoogleトップページも特別ロゴに変更されている。

スブラマニアン・チャンドラセカールの生涯

スブラマニアン・チャンドラセカールは1910年10月19日、インド(現在のパキスタン)のラホールに生まれた。当時インドはイギリスの保護下にあった。優秀だったスブラマニアン・チャンドラセカールはマドラスのプレシデンシ大学を卒業後、留学のためイギリス本国へと渡った。

21世紀の現在はインドからイギリスまで飛行機を使って数時間で行くことができるが、100年前は船を使うのが一般的だった。アラビア海からスエズ運河、地中海を経てイギリスまで渡るのにかかる期間は数ヶ月。船上の様子は戦後フランスに留学した遠藤周作の文学作品からうかがい知ることができるし、長い船旅で親友、あるいは恋仲になる若者も少なくなかったようだ。

スブラマニアン・チャンドラセカールはこのイギリスまでの旅の途中、天文学上極めて重要な発見をした。それは「白色矮星の質量には上限がある」という事実である。太陽のような恒星が寿命を迎えて新星爆発を起こした後、燃えかすとして残るのが白色矮星だ。この白色矮星はある質量を超えると自重を支えきれず、自分の重さで潰れてブラックホール化してしまう、というのがスブラマニアン・チャンドラセカールの発見である。

スブラマニアン・チャンドラセカールの業績

スブラマニアン・チャンドラセカールは留学先のケンブリッジ大学にて、この発見を理論化して論文として発表する。白色矮星の質量の上限は、発見者の名を冠して「チャンドラセカール限界」と名づけられた。この発見は天文学界にセンセーションを巻き起こし、発見者をして学界のスターダムへと登らせた。

1983年、スブラマニアン・チャンドラセカールはノーベル物理学賞を受賞する。1930年代の発見からすると遅すぎる受賞と言えよう。背景には革新的すぎる発見に対する学界の無理解などがあったとされるが、いずれにせよ、今日ではスブラマニアン・チャンドラセカールの学説は天文学の定説となっている。今日はGoogleロゴのアニメーションを眺めつつ、スブラマニアン・チャンドラセカールの業績に思いを馳せてみてはいかがだろうか。