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本日10月16日はオラウダ・イクイアーノの誕生日。これを記念してGoogleトップページも特別ロゴに変更されている。

歴史上著名な解放奴隷であるオラウダ・イクイアーノは1745年10月16日、現在のナイジェリアに当たる地域で生まれた。 11歳の頃に妹とともに人さらいの手で拉致され、奴隷貿易仲介業者に買われる運命となった。
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複数の主人のもとを転々とした後、オラウダ・イクイアーノは大西洋を越え、西インド諸島のバルバドスへ移送された。当時の奴隷船は凄惨極まる環境で、輸送中の死者も多かったが、オラウダ・イクイアーノはこれを生き延び、アメリカへと渡った。



その後、オラウダ・イクイアーノは当時イギリスの北米植民地だったヴァージニアへと移る。ここでオラウダ・イクイアーノは海軍士官のマイケル・パスカルなる人物に買われ、「グスタヴス・ヴァッサ」の名前を与えられた。これは16世紀のスウェーデン王にちなんだ名前である。

パスカルは「グスタヴス・ヴァッサ」ことオラウダ・イクイアーノを連れて本国イギリスへ戻り、彼を従者として使役した。当時イギリスはフランスとのあいだで七年戦争を戦っており、オラウダ・イクイアーノは船員として海軍士官のパスカルを支えた。

その後、パスカルはオラウダ・イクイアーノをアメリカの商人であるロバート・キングへと売却した。キングは寛大だった。オラウダ・イクイアーノに読み書きを教え、必要な代金さえ払えば彼を自由にすることを約束したのだ。オラウダ・イクイアーノは果物などの貿易に携わり、徐々に貯金を増やしていった。

1867年、オラウダ・イクイアーノは解放された。自由になったオラウダ・イクイアーノは各地を転々とした後、解放奴隷としてイギリスに定住する。イギリスでオラウダ・イクイアーノは奴隷解放運動に触れ、これに参加する。

1887年、グランビル・シャープが奴隷貿易廃止促進協会を設立すると、オラウダ・イクイアーノもこれに参加した。この協会には著名なウィリアム・ウィルバーフォースなどといった奴隷解放論者が参加した。なお、賛美歌「アメージング・グレース」の作詞者として知られるジョン・ニュートンも当時の奴隷解放運動に携わった人物の一人である。
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オラウダ・イクイアーノは1797年3月31日、英国ミドルセックスで亡くなった。オラウダ・イクイアーノの数奇な生涯は、自伝『アフリカ人、イクイアーノの生涯の興味深い物語』として刊行されている。また、18世紀末の奴隷制度廃止運動については、ウィルバーフォースの生涯を描いた映画『アメイジング・グレイス』が公開されている。興味を持った方は手にとってみてはいかがだろうか。