サンドフォード フレミング 標準時
今日は標準時を考案した人物であるサンドフォード・フレミングの誕生日。これを記念して、Googleのトップページも一日限定で標準時とサンドフォード・フレミングを記念する特別イラストへと変更されている。

このロゴ変更はGoogleのお遊び機能である「Doodle」(ドゥードゥル)によるもの。Doodleの公式webサイトによれば、今日のロゴ変更は日本の他、サンドフォード・フレミングの生地であるイギリスや彼が活躍したカナダをはじめ、複数の国・地域で見ることができるようだ。

測量エンジニアとしての前半生

サンドフォード・フレミング(Sandford Fleming)は1827年1月7日、イギリスのスコットランドで生まれた。14歳の時に測量士としての訓練を受け、18歳で兄のデーヴィッドとともに、当時イギリス帝国の領土であったカナダに移住した。ケベックやモントリオールなどカナダ各地の都市を回った後、1847年にピーターボローにいたいとこの元へ移り住んだ。1849年にカナダで測量士資格を取得、学術新興団体である「カナダ王立協会」(Royal Canadian Institute)を創設し、2年後の1851年11月に法人として認められた。

イギリス人にとって任意団体(アソシエーション)は特別な意味を持つ。例えば本家ロンドンの「王立協会」(Royal Society:1660年創設)は大英帝国の威信を示す学術団体として特別なプレステージを有しており、また19世紀には自由主義ブルジョワジーにより「社会科学振興会」が設立され、産業革命下のイギリスで経済学や社会福祉などの実学研究が行われた。

サンドフォード・フレミングらの「カナダ王立協会」も当初は科学者やエンジニアなど専門家のための団体としてスタートしたが、法人格を得ることで広く公益性を持つ団体へとその活動を広げていった。サンドフォード・フレミングも「3ペンスのビーバー」の愛称を持つ切手をデザインしたり、1855年にはカナダ北部鉄道の主任技師に就任するなど、その活動の幅を広げていった。

なお「3ペンスのビーバー」は今日のGoogleロゴの右上にも描かれており、そこにはビーバーの代わりにフレミングの顔がデザインされている。
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鉄道技師としての活躍:カナダ横断鉄道への貢献

カナダ北部鉄道にポストを得たサンドフォード・フレミングは、安全上の理由のため木製の橋にかわって鉄橋の導入を進めるなど、鉄道技師としての活動をすすめていく。(※当時鋼鉄は恒久的な建造物には適さないと考えられており、鉄橋もまだ稀だった。)

1862年、サンドフォード・フレミングはカナダ政府に対し、 太平洋と大西洋を結ぶ大陸横断鉄道の建設を提案する。アメリカ合衆国では南北戦争直前の1850年代末に大陸横断鉄道の計画が進んでいたが、そうした流れに乗じた形だ。南北戦争による米国メイン州の政情不安などもあり計画は紆余曲折を経たが、1885年ついにカナダ太平洋鉄道により大陸横断路線が開通した。

サンドフォード・フレミングと標準時

さて、いよいよ今日のDoodleのテーマである「標準時」の話題だ。1876年アイルランドにて、時刻表の「午前」と「午後」の表記のミスから一台の列車が失踪する。これを見たサンドフォード・フレミングは子午線に依存しない24時間の時間割を提案、グリニッジ子午線が国際的に採用された1884年の国際子午線会議では「標準時間帯」(タイムゾーン)を提案するに至った。このタイムゾーンの考え方(たとえば日本はグリニッジ標準時プラス9時間)は現在では一般的だが、提案後すぐには定着せず、数十年をかけて少しずつ国際的に浸透していった。

フレミングの後半生

こうした国際的な業績を数多く残したサンドフォード・フレミングは測量技師を引退し、オンタリオのクイーンズ大学教授として晩年を過ごした。1897年には業績をたたえてヴィクトリア女王からナイトの称号を授かり、「サー・フレミング」(フレミング卿)としての名誉を得た。1915年死去。現在、彼の業績を記念した「サンドフォード・フレミング賞」がカナダ王立協会によって主催されている。