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今日は南アフリカで活動した反アパルトヘイトの闘士であるスティーヴ・ビコの誕生日。これを記念してGoogleトップページも特別ロゴに変更されている。

このロゴ変更はGoogleの特別機能である「Doodle」(ドゥードゥル)によるものだ。Doodleの公式webサイトによれば、今日のスティーヴ・ビコ仕様の特別イラストは日本の他にも、ビコの祖国である南アフリカをはじめ、米国や英国、アイルランド、ポルトガルなど一部の国・地域で見ることができるようだ。

活動家としての短い生涯

スティーヴ・ビコ(Steve Biko)は今から70年前の1946年12月18日、南アフリカ・ケープ州のキングウィリアムズタウンで4人兄弟のうち3番目として生まれた。父親は公務員であったが、スティーヴが4歳の時に亡くなった。その後スティーヴ・ビコは1966年、ナタール大学医学部に進学。アパルトヘイト(人種隔離)政策により「非白人部門」に振り分けられたビコは、同様の境遇で大学に進学した有色人種のエリートたちとともに、学生運動の活動家として頭角を現していく。

スティーヴ・ビコは著名なネルソン・マンデラを擁するアフリカ民族会議(ANC)には参加せず、1968年にSASO(南アフリカ学生機構)を設立、独自路線による民族闘争を展開した。1972年に大学を中退し、さらに活動へのコミットメントを強めていった。

ところが翌1973年、民族運動の台頭を良く思わない政府により、スティーヴ・ビコは活動を制限される。監視下に置かれ、地元に戻ることを余儀なくされたビコはそれでも地下活動を続けたが、1977年、ついに官憲の手によって扇動罪で拘束される。ビコは拷問の末、1977年9月12日に死亡した。30年の短い生涯であった。

スティーヴ・ビコの主張「ブラック・コンシャスネス」

スティーヴ・ビコが主張したのは黒人としての人種的自覚を強める「ブラック・コンシャスネス」(黒人意識)運動である。アパルトヘイトが施行されていた当時、南アフリカの有色人種は無力感と劣等感、政治的アパシーに支配されていたが、ビコはこれを批判、黒人としてのプライドを持ち、自らの文化に誇りを感じるよう民衆に訴えたのである。
 
「黒人意識とは、考え方であり、生きる姿勢であり、長い間に黒人社会から生まれてきた最も力強い叫びである」とはスティーヴ・ビコの言葉だ。自己のアイデンティティを取り戻そうとするビコの思想は南アフリカの有色人種の心を捉え、アパルトヘイト撤廃運動の柱の一つとなった。アパルトヘイトによる人種隔離はその後、1991年に廃止。ピコの没後14年が経過していた。

スティーヴ・ビコを描いた作品

スティーヴ・ビコの生涯と思想は多くのアーティストに影響を与え、数々の文芸・音楽作品を産んだ。ビコの生涯を描いた映画にリチャード・アッテンボロー監督の「遠い夜明け」がある。この作品でビコを演じているのはデンゼル・ワシントンだ。



まだアパルトヘイトの継続していた1987年の作品のため、撮影は隣国ジンバブエで行われたという経緯を持つこの映画は、ビコと白人新聞記者との交流を描き、話題を読んだ。DVDが発売されているので、興味をもった方は手にとってみてはいかがだろうか。