ファン・マヌエル・ファンジオ
今日は20世紀の世界的F1レーサーであるファン・マヌエル・ファンジオの誕生日。Googleではこれを記念して、一日限定でロゴが特別イラストに変更されている。

Doodleの公式Webサイトによれば、今日の特別ロゴはファンジオのヴィンテージポスターにインスパイアされたもので、日本や韓国、ロシア、アイルランド、そしてファンジオの出身地アルゼンチンなど一部の国と地域で表示されているという。

ファン・マヌエル・ファンジオの功績:F1で5回の世界チャンピオン

ファン・マヌエル・ファンジオはF1レーサーとして、1951年、1954~57年にかけて、5回のワールドチャンピオンに輝いた。これは2003年にミハエル・シューマッハに破られるまで、46年間という半世紀近くもの間史上最多記録であり続けていた。

ファンジオは状況予測能力が高く、事故が多発していた草創期のF1において、たびたび危険を回避することにも成功していた。F1の「マエストロ」ことファンジオの高潔な人柄とあいまって、今も語り継がれるエピソードである。

ファン・マヌエル・ファンジオの生涯

そんなファン・マヌエル・ファンジオは1911年6月24日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに生まれた。 第二次大戦が始まるとこれに従軍し、戦場ドライバーとして操縦の技術を磨いた。戦後、ファンジオは独裁者ファン・ペロンの支援を受けて世界的なレースに出場するようになる。1950年にF1(フォーミュラ1)の世界選手権が始まると、ファンジオはイタリアのアルファロメオからこれに出場するようになった。

ファンジオは草創期のF1で圧倒的な強さを誇り、先述の通り、50年台に5回のワールドチャンピオンの座に輝いた。その後通算24勝を挙げ、1958年に引退。1995年7月17日に亡くなった際は国家の英雄として国葬の栄誉を受けた。

ファン・マヌエル・ファンジオのエピソード

そんなファン・マヌエル・ファンジオは現在でもアルゼンチンで人気が高く、ずんぐりした体型のため「エル・チュエコ」(がに股)と呼ばれて国民から親しまれた。

1958年、ファンジオがキューバグランプリに出場するためキューバの首都ハバナを訪れた際、革命家フィデル・カストロの指揮する「7月26日運動」のメンバーに誘拐される事件が起こった。組織の目的はグランプリを運営するバティスタ政権の打倒にあったため、組織はファンジオを丁重に扱った。その後キューバでは革命が起こり、両者の親交はファンジオが亡くなるまで続いた。

ちなみに、1959年のアメリカ映画『渚にて』(グレゴリー・ペック主演)では、登場人物の一人であるオズボーン博士がフェラーリを運転する印象的なシーンがあるが、これも危険と隣り合わせだった当時のF1の雰囲気を物語っている。興味を持った方はぜひ視聴をオススメする。