Suzanne Lenglen
今日5月24日はフランスのテニスプレイヤーであるスザンヌ・ランランの117回目の誕生日。これを記念してGoogleロゴもDoodle仕様の特別アニメーションに変更されている。

スザンヌ・ランランは1920年代のフランスで活躍した女子テニスの名選手。Doodle公式webサイトによると、今日のスザンヌ・ランランのロゴは日本やフランスをはじめ、北アフリカなどの一部の国で表示されている。

スザンヌ・ランランの功績:近代的なテニス競技を確立

テニスといえば現代では誰もがプレーする人気スポーツだが、昔は貴族だけが楽しむ上流階級の娯楽だった。テニスの原型となったスポーツは「ジュ・ド・ポーム」(Jeu de paume:手のひらの遊び)と呼ばれ、フランスで生まれた。ジュ・ド・ポームは当初は素手でボールを打ち返していたが、次第に捻挫を防ぐために木製のラケットを使うようになった。

フランス革命中、憲法制定まで国民議会を解散しないという「テニスコートの誓い」が行われたのを世界史で習った方も多いだろう。これは当時ヴェルサイユ宮殿にあったジュ・ド・ポームの球戯場に第三身分の議員が集まって行われたものだ。

その後、レジャーが大衆化すると、1877年にイギリスでウィンブルドン選手権が誕生。当時のウィンブルドンは現在のようにプロの大会ではなく、アマチュアの愛好会に近いものだった。スザンヌ・ランランも1919年にこのウィンブルドンで優勝を果たして、そのキャリアをスタートすることになる。

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スザンヌ・ランランの生涯

スザンヌ・ランラン(Suzanne Lenglen)は1899年、エッフェル塔にほど近いパリ16区の裕福な地区に生まれた。幼いころは病弱で、父親のシャルル・ランランは娘に体力をつけるため、テニスを始めさせたという。

その後、スザンヌはめきめきと腕を上達させ、1919年にはウィンブルドンで初優勝、20年代にアントワープ五輪や全仏選手権で連続して優勝するなど、強豪プレーヤーとして国際的に知名度を高めていった。

スザンヌ・ランランの強さを前に、テニスそのものも競技の性格を変えていった。ランランは試合中に動きやすいように短いスカートでプレーし、現在の女子テニスのユニフォームの原型となった。またランランはスポンサーと契約を行い、興行としてのプロテニスを創設。テニスが現在のように国際的に認められたプロ競技になった背景には、ランランの功績があったのである。

スザンヌ・ランランは1938年7月4日、白血病のため39歳の若さで亡くなった。現在、パリ西部のブローニュの森にあるスタッド・ローラン・ギャロスの第2コートは彼女の功績を記念して「スザンヌ・ランラン・コート」という名前が付けられている。