今日1月28日は「八木アンテナ」を発明した八木秀次の誕生日。これを記念してGoogleトップページのロゴも、八木アンテナを傾ける二人の男性とそれにあわせてアンテナを掲げる家庭の特別アニメーションに変更されている。昨日はベアトリス・ティンズリーの誕生日を祝うロゴになっていたので、二日連続のロゴ変更となる。

八木アンテナとは?

八木アンテナ(正式名称は八木・宇田アンテナ)は1925年、八木秀次と宇田新太郎によって開発されたアンテナ。広い範囲に電波を発信したり、また遠距離からの電波を受信できるという長所を持ち、翌年に八木秀次の名義で特許を取得された。

ところが、八木アンテナは発明直後、国内ではあまり注目されなかった。当時の軍部もレーダーの重要性を理解しておらず、「敵前で電波を発信すれば自機の位置が丸わかりになってしまう」として八木アンテナを採用することはなかった。

したがって、日本国内で八木アンテナが普及するのは戦後になってからのことだった。遠距離からの電波を受信できるという八木アンテナの長所が、テレビの受信アンテナとして重宝されたのだ。戦後、各家庭にテレビが普及したことで、八木アンテナも至る所で目にすることができるようになった。

近年になってテレビのアナログ放送が終了し、地デジ放送へと移行したため、テレビ受信用の八木アンテナもその役目を終えることとなる。現在、テレビ受信用の八木アンテナは国内では生産されていない。

八木アンテナの発明者・八木秀次博士の生涯 

そんな八木アンテナを発明した八木秀次は、1886年1月28日、大阪で生まれた。東京帝国大学工科大学(現在の東大工学部)を卒業し、欧米留学を経て、東北帝国大学に就職した。ここで宇田新太郎と共同で八木アンテナを開発する。

その後、大阪帝国大学総長、東京工業大学学長などを歴任し、戦後は参議院議員にもなる。八木アンテナ株式会社株式会社を設立し、学士院会員にもなるなど、多方面で活躍した。1976年1月19日、89歳で亡くなった。

なお、八木秀次について手軽に読むなら吉川弘文館のシリーズ「人物叢書」の『八木秀次』の巻がよいだろう。八木秀次を明治以来の国家的課題「後発工業国日本の近代化」に挑んだ技術者として描いており、一読をオススメする。